言の葉なき文を君に

若旦那つるさん×囲い者国広くんの明治浪漫パロ。
お互い一目惚れにも関わらず色々すれ違ったりして、最終的にはハッピーエンドです。
つるさん視点を含むverは本に収録しています。



 それは晩夏の頃であっただろうか。屋敷の前で、国広は美しい男に出会った。透き通る様な白い肌と絹糸の様な髪が、紅の日に照らされれば一層美しい。それは夕暮れに佇む白鶴の様であった。その美丈夫に、国広は一目で心を奪われた。それは危うく言の葉として零れてしまう程に。然し乍、国広はそれを喉の奥で飲み込んだ。  「国広、何してんだよ。置いてくぞー。」  庭先で国広の名を呼ぶのは、使用人の加州であった。その脇には荷物を抱えた歌仙も居る。国広は後ろ髪引かれ乍も加州の呼び掛けに応えた。そう、本来ならば国広はこの門から外へ容易に出るべき存在ではないのだから。  国広は被った衣を指先で引き、からんからんと下駄を鳴らす。庭先の鹿威しは、かんと調子の良い拍子を取る。されど、国広の心はいつも仄暗い闇を抱えた儘だ。  国広家は本来庄屋であり、時代が移れど経済力を持つ一族であった。立派な屋敷を構え、多くの使用人を抱えていた。然し、国広国広は所詮囲い者の子、言うなれば妾腹であった。御家が傾けば金銭に替えられてしまう事など、分かり切っていた事だ。父親が存命の頃は、売られる事も無かったであろう。父親は母に似た国広の容姿を甚く気に入っていた物だから。その父が他界すれば、国広を家に残す必要もなく、御家の為にと早々に家を出された。  「…囲い者、か。」  国広は夕日に染まる屋敷を一瞥し、頭を垂れた儘歩みを進めた。  国広を引き取った人間は、呉服屋の若旦那だそうだ。元を糺せば良家の出だそうだが、今の店は一代で築き上げたというやり手だ。その男に国広は引き取られ、この町外れの屋敷と二人の使用人を与えられた。この現実に直面した時、国広は目の前が真っ暗になる様な感覚を覚えた。使用人として出されるのならば道理、だが国広に与えられた立場は正に母と同じであった。  「国広、体調でも悪いのか?」  そう国広の顔を覗き込んだのは、夕焼けの様な緋色の眼。その眉は心配だと言わん許に、きゅっと寄せられている。  「今日は久しぶりの外出だったからね。早く屋敷に入って、お茶でも煎れようか。」  歌仙に促されれば、国広はこれに頷いた。考え込んだ所で栓無き事なのだから。  屋敷の扉を歌仙が開ければ、加州が国広の手を引く。  「早速、さっき買ってきた茶菓子を食べない?俺、楽しみにしてたんだよね。」  楽し気に笑う加州。歌仙も「まったく、君は。」と言い乍その顔は笑っている。その二人の様子に、国広の心も幾分晴れた。  こうして友の様に接してくれる二人には、国広は大変感謝をしていた。初めて会った二人の態度が使用人のそれであったならば、国広は絶望して隅田の川にでも身を投げていたかも知れない。  がらり、歌仙が扉を閉めかけた時であった。国広は背中に視線を感じ、振り返る。然し、その時には既に戸は確りと閉まっていた。  「どうしたんだい?」  歌仙は不思議そうに小首を傾げる。それに対し、国広は「何でもない。」と首を振った。もしかしたら、国広の気のせいかも知れない。加州がまた楽し気に茶菓子の話をすれば、国広の頭からは先の事などすっかり抜けていた。  さて、翌日の事である。  夕暮れ時、国広は二階の自室から、ぼんやりと外を眺めていた。  この時刻となれば、屋敷の前を通る人影も一層少なくなる。その様な人通りの疎らになった通りを国広が眺めていると、一人の人物が通り掛かった。  利休白茶の着物を纏い、ハットを被る若い男。顔は見えぬが、それがあの男である事に国広は気付いた。透き通る様な白い肌は、今日も黄昏に染まり美しい。丸で陶磁器の様だ。  国広は気付けばその男を目で追った。次第に遠く離れて行く背中。国広がもう少しだけと身を乗り出せば、窓の格子に当たる。そこで、国広ははっと我に返った。そして、今の自分は何をしていたのだろうかと振り返るが、その行動の理由には辿り着けず。  軈て歌仙の呼ぶ声がして、国広はそれ以上追及する事を辞めた。  然し乍、また翌日も白鶴の男は、屋敷の前を通りかかった。  国広が二階の窓から眺めていると、男は矢張り昨日と同じ方向へ向かって行く。それでいて、昨日とは異なる事が一つあった。  白鶴の男が屋敷の前で立ち止まったのである。そして、被っていたハットを脱ぐと、軽い会釈をした。それは紛れもなく、屋敷の二階にいる国広に向けての物であった。そして、男の口許が綴る。  こんばんは。  音はないが、男の口許は確かにそう告げている。  国広は自身の頬が熱を持つのを感じ、慌てて頭に被る衣を引いた。この感情が何かを国広は知らない。だが、確かに国広の頬は熱を持っていたのだった。  日は沈み、昇り。また、夕暮れ時がやって来る。  国広が二階の窓から外を眺めていると、また白鶴の男が通りかかる。そして、屋敷の前を通りかかると、丸で当然の事が如くハットを脱ぎ会釈をすると、音のない挨拶を国広に向けてくれる。国広もこれに何とか返したいと思い、衣で半分顔を隠し乍も男を真似る様に唇を動かす。  こんばんは。国広が音のない言葉を綴れば、男は一層美しく笑った。そして、小さく頭を下げ再びハットを被ると、矢張り同じ方向へと去って行く。国広は唯々その背中を見守った。  男の背中が完全に見えなくなった頃、歌仙の呼ぶ声がして国広は一階へと降りる。そろそろ夕餉の時刻であろう。厨仕事は歌仙が全て担っているが、国広も配膳の手伝いはさせて貰っているのだ。これを申し出た国広に、歌仙も加州も初めは目を丸くしたが、国広の気持ちを酌んでくれた様で、笑顔で了承してくれた。  国広が厨へ向かうと案の定、歌仙がたった今調理を終えた所であった。  「今日は良い茄子が手に入ってね。煮つけにしてみたんだ。」  料理好きの歌仙は嬉しそうに話す。確かに綺麗な色をした茄子からは、良い香りが漂っている。  「あぁ。良い匂いだ。」  そう国広は相槌を打つ。然し、加州の姿が見当たらない。いつもならば庭の見回りと門の戸締りをして、配膳を手伝うべく厨に現れる頃である。  「加州はどうしだんだ?」  「確かに遅いね。」  国広の疑問に、歌仙も首を傾げた時、加州がばたばたと小走りで厨へ現れる。  「加州。あれ程、厨で騒いではいけないと。」  そう歌仙が小言の一つでも溢し掛けるが、加州はそれよりも早く言葉を被せる。  「国広、もうここにいたのかよ!探したんだからな!これ、お前宛てじゃない?」  息を切らせた加州が国広に差し出した物、それは一輪の白百合であった。頭を垂て咲く白い花は、どこか憂いを帯びている様だが、それでいて美しい。慈悲深い聖母の様であった。  「門の所にこれが差してあった。一応、ここは若旦那の屋敷だけど、ここに住んでるのはお前だから。これ、お前宛てだろ。」  ずいっと差し出された一輪の白百合。国広は躊躇い乍もそれを受け取った。確かにここは国広を引き取った呉服屋の若旦那の屋敷だ。然し、この屋敷に若旦那は住んでいない。それ所か国広を引き取っておき乍、一度たりとて屋敷を訪れた事はないのだ。故に国広は若旦那の顔を知らない。それは歌仙も加州も同じ様で。詰まり、この屋敷の者に贈られた花という事は、三人の内の誰かという事になるだろう。  「でも、俺に花を贈る様な奴なんていない。」  「本当に?お前鈍いから気付いてないんじゃない?過去に親しかった奴とかいない訳?」  詰め寄る加州。国広が記憶を辿ってみれば、一つの顔が思い浮かぶ。丸で白鶴の様に美しい男。そんな訳はないと思い乍も、国広の心は踊っていた。  「白百合の花言葉には、純潔や無垢という言葉があるらしいね。確かにこれは国広に贈られた物なんじゃないかな。」  そう話し乍花瓶に水を入れる歌仙。歌仙に促されれば、国広はその一輪の白百合を花瓶に差した。美しい白い花、丸であの白鶴の男の様だと国広は思った。  それから夕餉を済ませると、国広は一輪の白百合を前に、白花色の紙を折った。それは幼い頃、母から教わった物だ。何度か紙を折り返せば、それは一羽の白鶴に姿を変える。  「この花に比べれば粗末な物だが。」  そう溢し乍も国広の心は晴れやかであった。文机に並ぶ白百合と白鶴。それは比翼連理が如く。静かに寄り添う様であった。  翌日、国広は日暮れ時を楽しみにしていた。当然乍、それには理由がある。国広はいつもと同じ様に二階の窓から外を眺めているが、今日は門の所で男を待つ者があるのだ。白い色をした国広の贈り物に、白鶴の男は気付いてくれるだろうか。  国広が落ち着かない様子で外を眺めていると、手に一輪の白百合を携えて白鶴の男がやって来た。そして互いに音のない挨拶を交わす。国広は衣で顔の半分を隠した儘ではあるが、男はハットを脱ぎ美しい笑みを浮かべていた。そして、男は暫く門の前で立ち止まると、いつもとは異なる言葉を残していった。  ありがとう。男の口許が綴る言葉。国広は熱を持つ頬を隠し乍、こくり頷いた。返す言葉を見失ってしまう程、国広の心の臓は音をさせていたのである。  こうして、国広と白鶴の男の文字のない文の交換が始まった。そして、国広は自身の持つ感情を知らぬ儘、この文の交換に夢中になっていたのだ。  「国広、最近増々綺麗になったよね。恋とかしてんの?」  夕餉時、そう国広に訪ねたのは加州であった。本当に何気のない話題であったのだろう。国広は自身の容姿について触れられるのは好きではないが、親友の様な仲である加州ならば話は別だ。だから、いつもならばふざけ合い終わる話題であったのだ。だが。  「悪い!国広、俺酷い事言った?なぁ、本気で傷付けた?」  目の前に迫る加州の顔で、国広は我に返った。加州は自身の発言を気にしている様で、焦った様な悲しい様な顔をしている。歌仙も「具合でも悪いのかい?」と、様子のおかしい国広を心配している様だ。  「加州、お前は悪くない。少し疲れただけだ。」  国広はそう頭を振ると、「今日の南瓜は一段と旨いな。」と小さく笑う。南瓜の味に感動していたと苦笑すれば、加州も歌仙もどこか安心した様にいつもの笑みを見せた。  その晩は、篠突雨となった。強い風ががたがたと雨戸を叩き、雨は大地を貫く。内に黒を孕んだ折り鶴はどこか力なく。並ぶ白百合も嘆いている様であった。  国広は膝を抱え、声を押し殺して泣いた。  国広は囲い者である。顔を見た事冴えないとは言え、若旦那の所有物なのである。誰かに恋心を抱くなどご法度。  然し乍、これは確かに恋であった。国広が恋をしたのは、これが二度目であった。  一度目は随分と幼い頃。屋敷を抜け出してこっそりと駒鳥たちと遊ぶのは、国広の日課であった。囲い者である母の屋敷に住まう国広に友などいない。故に、駒鳥たちだけが国広の友であったのだ。いつもの様に国広が駒鳥と戯れていると、一人の男が通りかかった。雪の様に美しい男であった。「この子たちは、君の友達かい?」、そう男に尋ねられれば、国広はこくりと頷いた。余りに男が美しかったので、言葉の一つも思い浮かばなかったのだ。その後、再び男と会う事はなかった。然し、それは確かに初恋であった。  そして、二度目の恋をした。されど、それは許されない恋であった。  雨が上がり風も収まれば、僅かに朝日も顔を覗かせていた。窓から臨む景色は、静寂その物で。宛ら森羅万象が浄化されたかの様であった。  「もし汚い物が残っているとすれば、それは俺だ。」  国広は自嘲の言葉を溢すと、二人には気付かれぬ様屋敷を出た。手には折り鶴と白百合を携えて。庭の鹿威しが刻む音、それは木魚の音か。  国広は折り鶴に一つ口づけを残すと、それを門の脇に添えた。黒を孕む折り鶴が無言の儘、国広を見据える。その姿を前に、国広は頭を振ると、覚悟を決めてそれに背を向けた。  手に残されたのは、白百合だけ。持って逝く物などそれだけあれば十分だ。  早朝の隅田川に人の姿は有らず。水嵩を増した川が唯々流れている。天は晴れ、草木は露に濡れているが、川は至極騒がしい。  国広は手にした白百合を胸の前で握り締めると、ふぅと深く息を吐いた。国広の足が歩みを勧めようとした時であった。  「おい!君、何を考えてるんだ!馬鹿な真似は止せ!」  そう荒げられた声と共に、国広は川岸から引き離された。国広をその腕に捕らえる男、それは白鶴の男であった。目の前に迫る顔は心奪われる程美しかったが、国広の決意は固い。男の手を抜け様と、遮二無二暴れる。  「アンタに何が分かる!」  生まれ乍らにして疎まれ蔑まれ、剰え金に替えられただけの命だ。ならば、せめて綺麗な恋心を抱いた儘、逝きたいと言った所で罰は当たらないだろう。それとも、自分の様な存在にはそれさえも許されないのか。国広はそう泣いた。  「国広、落ち着いて聞いてくれ。」  白鶴の男に抱かれ乍、国広は鼻を啜る。もうどの様な姿を見られようが今更であった。白い指先はくしゃりくしゃりと国広の頭を撫でる。  「君を引き取った若旦那というのは、俺の事だ。君は幼かったから覚えていないかも知れないが、俺はよく覚えている。駒鳥たちと遊んでいた君の姿を。」  どこか身に覚えのある話が耳を掠め、国広は顔を上げる。すると、そこには大層優しい琥珀の眼があった。  「あの時から君に恋をしていた。その時、俺は決めたのさ。君が大人になったら、攫いに行くってな。君はあの頃から綺麗だったからな。誰かに先を越されないか、心配だったぜ。」  白い指が国広の顎をすいと掬い上げる。  「君の家が傾いたと聞いて、君が誰かに連れて行かれる前にと、俺は真っ先に名乗りを上げた。でも、それは君を金で買った事になる。正直、どんな面提げて会えば良いか分からなかった。すまん。その結果、君にこんなに辛い思いをさせる事になってしまった。」  悲し気に眉を寄せる白い顔。  「俺は狡い大人だ。君はこんな俺を許してくれるか?」  「アンタだから。」、ぽつり国広は溢す。白い顔がこくり首を傾げれば、国広はそれを正面から睨んだ。  「アンタだから、許す!そう言ってるんだ!」  国広は顔を朱に染めて、そう叫んだ。早朝の河原に響く国広の声。白鶴の男は目を丸くしたが、国広が口先を尖らせてそっぽを向けば、からからと笑った。  「改めて、よろしく頼む。可愛い俺の奥さん。」  額に落とされた口づけに、国広は朝焼けよりも鮮やかな紅を頬に添えるのであった。 -----  町は夕暮れ時だと言うにも関わらず、大変賑やかであった。異国を真似た建物が並ぶ通りを、人や馬車が擦れ違う。  「舞台を見るのは、初めてだったかい?」  鶴丸は隣を歩く年下の新妻に問い掛ける。すると、新妻国広は、硝子玉の様な瞳を輝かせて控え目に頷いた。鶴丸が贈った西洋傘を差すその姿は、丸で異国の人形にも似て愛らしい。  あどけなさ残る唇は紡ぐ。  「あの家に居た頃は、知らなかった。アンタが、教えてくれた。外の事を。」  国広が言う外という言葉。今の国広は唯の事実としてその言葉を用いるが、何度聞いても鶴丸の胸を締め付ける言葉であった。  鶴丸は国広の成長を、影で見守ってきた。だから、知っているのだ。屋敷の中で育った事も。父親の死後、丸で用済みだと言わん許に、薄暗い蔵の中で生活していた事も。そして、それを国広が嘆き乍も受け入れていた事も。鶴丸は全て知っていた。  鶴丸の隣で国広は西洋傘を傾ける。それはいつも国広が被る衣の代わりに、その顔を隠した。  「アンタには、大切な物をたくさん貰った。…その、俺に友と呼べる人間が出来るなんて、思っていなかったから。それに…。」  鶴丸の指先に何かが触れる。鶴丸にはそれが何であるかなど、そちらへ視線を移さずとも分かった。  指先に触れた物を、鶴丸は自ら握る。すると、西洋傘の下に隠れた顔は、淡い紅を咲かせた。  鶴丸に寄り添う西洋傘。鶴丸は手を引き、肩が触れる程に引き寄せる。  最早、言の葉は不要であった。