金糸雀の棲む山

或る嵐の夜に三日月おじいちゃんとつるさんとまんばくんが、一軒の家に辿り着く話。
※この作品は、国広を山姥切と表記しています。



 草木はざわりざわりと嘶き、天は灰に染まる。覆う雲は厚く、ぽつりぽつりと雨音が響いたと思えば、あっという間にそれは篠尽雨へと変わった。青天の霹靂とはまさにこの事か。
 「こっちだ。走れるか?」
 そう国広の左手を引いたのは、鶴丸だった。国広はあぁと頷く。水を含んだ襤褸は随分と重いが、身動きが取れない物でもない。
 「これは思わぬ天気となったな。」
 そう苦笑するのは、国広の後を追う三日月。
 国広、鶴丸、三日月の三振りは、主の命で遠征へと赴いていたのである。無事に護衛の任を終え、さて本丸へと帰ろうとこの山へ入った時、天候は一変した。歴史修正主義者や検非違使の目撃例はない山の為、そちらについては余程心配は要らないだろう。然し、嵐の山は遭難の危険もあり、大変危険だ。主が送ってくれているだろう鳩の姿も未だ見えない。否、もしかしたら、余りに酷い嵐で鳩も迷っているのかも知れない。
 「後少しだ。嵐が収まるまで、あの家の世話になろう。」
 鶴丸が指差す先には、小さな明かりがあった。そう、それは紛れもなく民家であった。木造の小さな民家には、確かに灯りが点されている。
 「軒先だけでも借りれれば良いが。」
 躊躇う国広の背を、三日月がそっと押す。
 「尋ねて見れば良いだろう。宿代程度ならば持って居る。」
 さあ行こうと二振りに誘われ、国広は「分かった。」と渋々頷いた。嵐の中、立ち尽くしていた所で何の解決にもならない。それならば、一度は尋ねて見た方が良いだろう。
 近くで見れば、矢張りその民家は木造の小さな建物であった。随分と年季は入っている様だが、確かに中からは明かりが零れている。
 先頭を行く鶴丸が、玄関の扉を開ける。「ごめんください。」とは、鶴丸が住人を呼ぶ声。
 鶴丸の声が響いて間も無く、奥から一人の老婆が姿を現した。腰の曲がった小さな老婆であった。
 「おやおや。この嵐の中、大変でしたね。」
 「あぁ、突然の天気にこの様さ。すまないが、少し屋根を貸してくれないか?」
 鶴丸がそう尋ねると、老婆は突然の来客だと言うにも関わらず穏やかに笑う。
 「いえいえ、よろしければ上がって下さい。夫が在った頃は宿を営んでおりましたので、部屋も余っております。立派なおもてなしは出来ませんが、ゆっくりして行ってください。」
 気さくな老婆の提案に、鶴丸も三日月もこれは助かったと顔を綻ばせた。国広は水の滴る襤褸の下、二振りと老婆のやり取りを見守った。
 不意に国広の耳を掠めた物音。それは、外の雨音や風の音ではない。国広がくるり視線を巡らせると、そこには一つの鳥籠があった。その鳥籠の中で、金色の羽をした一羽の鳥が遊んでいる。否、国広にはそれが遊んでいる様には見えなかった。その鳥を目にした国広は、胸が締め付けれられた様に苦しくなった。呼吸を忘れかけた時、響いたのは老婆の声。
 老婆は家の奥へ呼び掛けていたのだ。老婆の声で、国広は我に返った。
 間も無く、家の奥から手拭いを抱えた一人の幼子がやって来る。おかっぱ頭の七つにも満たぬであろう少女だ。
 「婆は湯の用意をしますから、お客様にお部屋の案内をして頂戴な。」
 老婆が少女にそう告げると、少女は破顔の笑みを浮かべこくりと頷いた。老婆はそれを確認すると、再び鶴丸と三日月に顔を向けた。
 「お部屋へはこの子が案内致します。湯も直ぐにご用意しますので、それまでまずはゆっくり体を休めて下さい。」
 「すまないな。本当に助かる。」
 「いえいえ、立派なおもてなしは出来ませんが、少しでもお役に立てれれば嬉しゅうございます」
 穏やかに微笑む老婆は、「それでは後程お呼びします。」と告げ家の奥へと消えて行く。代わりに前に出たのは、少女だった。
 少女はあどけない笑顔で、手にした手拭いを差し出した。
 「これを使って下さい。どうぞ。」
 「おや、これは有り難い。」、鶴丸と三日月がそれを受け取る。三日月が礼を述べ頭を撫でれば、少女は一層無邪気な笑顔を見せた。そして、少女は国広の元へもやって来る。
 「どうぞ。」と差し出される手拭い。国広も先の二振りに倣い、それを受け取った。そして、暫し逡巡したものの、覚悟を決めて襤褸を脱いだ。その途端、少女は「あっ!」と声を上げ、その円らな瞳を輝かせた。
 「お兄さん、金糸雀ちゃんとお揃いね!」
 少女は嬉しそうに、そう国広の手を取った。
 「金糸雀ちゃん?」
 「金糸雀ちゃんは、あの子よ。」
 少女の指差す先には、先程の鳥籠があった。鳥籠の中の小鳥を見た鶴丸と三日月は、なるほどと笑った。
 「へぇ、可愛い子だな。確かに国広はこの子とお揃いだな。」
 揶揄う様に笑う鶴丸に、国広は口先を尖らせる。下手に自身を卑下すれば、小鳥をも蔑む言葉になりかねない。国広は顔を顰めるが、無邪気な少女に悪気はない。
 「ねぇ、金糸雀のお兄さん。お部屋を案内するわ。」
 少女はそう国広の手を引く。国広は慌てて靴を脱ぐと、急かす少女につき従った。丸で短刀たちの遊びに捕まってしまった様だ、と思い乍。
 「なぁ、君。あの金糸雀は、この山に住んでいた子なのかい?」
 国広と少女の後ろに続く鶴丸が尋ねる。すると、少女は首を振った。
 「前に来たおじさんがくれたのよ。あの子は歌が歌えない子だから、おじさんはいらないって言ってたわ。」
 「そうか、それは可哀想だな。それで君が貰ったのか。」
 鶴丸がまた尋ねる。それに対し、先とは逆に少女は首を縦に振った。
 国広はその会話を無言の儘、聞いていた。国広は金糸雀でもなければ、歌を忘れた訳でもない、然し、どこかで酷い胸騒ぎがしていたのだ。
 その様なやり取りをしている間に、少女はぴたりと足を止める。
 「ここがお部屋よ。」
 すっと開かれた障子。外観同様古い建物ではあったが、部屋は綺麗に片付けられていた。老婆は既に廃業していると言っていたが、まだ十分に客を受け入れられそうな部屋である。
 「どうぞごゆっくり。」と、小さな仲居は一礼をする。部屋の案内を終えた小さな仲居は、ぴんと背筋を伸ばして去って行く。と、くるり振り返って笑った。
 「金糸雀のお兄さん、後でお部屋に遊びに行くわね。」
 手を振る小さな少女。国広の肩を、鶴丸がとんと叩いた。
 「羨ましいな、色男。」
 「そう思うなら、代わってくれ。」
 揶揄う鶴丸に、国広はまた顔を顰めた。本丸では古参故、国広は短刀たちに捕まる事も慣れていた。厚や愛染に捕まった時はまだ良い。乱に捕まった時は、特に大変だ。そして、今はまさにその乱に捕まった時と同じ状況であった。
 「あの子は、そなたが気に入ったようだからな。俺たちに代わりは務まらん。さて、湯を頂く迄、少し休もうか。そなたも疲れただろう。」
 三日月に促され、国広と鶴丸は大人しく部屋へと入った。

***

 相変わらず外は酷い嵐の様だ。雨と風とが、容赦なく雨戸を叩く。
 国広たちが湯浴みを済ませて部屋に戻れば、既に布団が用意されていた。どうやら、老婆が支度をしてくれたようだ。
 「良い宿だな。明日、改めて礼を言おう。」と、三日月は嫋やかに微笑んだ。国広も「そうだな。」と頷く。
 「あの悪天候だ。遭難を覚悟していたが、ここまで良い宿に世話になれるとはな。」
 鶴丸がごろんごろんと布団の上で転がるので、国広は呆れて溜め息を吐く。すると、その様子に三日月は口許を隠し、ふふと小さく笑った。
 がたがた、がたがた。雨戸を叩く音。
 「そういえば、あの子は君を訪ねて来ると言っていたが、まだ来ないな。」
 「眠かったんだろう。この夜更けまで、あの年の子に起きて居ろという方が無理だ。」
 がたがた、がたがた。次第に音は煩くなる。
 ふっと吹き抜けた風が、行燈の火を消した。

 かなりあのおにいさん、おうたをうたってちょうだい。

 けたけたと笑う声に、国広は耳を塞いだ。
 途端、部屋の障子戸がすっと開く。小さな人影。それは七つ程の子であろうか。炯炯と光る眼が、にったりと笑う。その様子に、国広は息を飲んだ。

 ねぇ、おにいさん。おうたをうたえないの?

 瞬間。鋭い閃光が走り抜け、小さな頭を斬り飛ばした。ころりころりと転がる頭。その目が、国広を見詰める。国広はひゅうひゅうと浅い呼吸を繰り返す事しか出来ず。
 「国広!国広、俺を見ろ!」
 強く顔を掴まれると、国広の目の前には、三日月が浮かぶ双眸があった。三日月は告げる。
 「直ぐに終わる。今暫し、俺だけを見て居れ。」
 どこか切羽詰まった様な三日月の言葉に、国広はこくり頷いた。それは三日月の目が、そうしなければならないと強く訴えていたからだ。三日月の両手で耳を塞がれた国広は、酷い嵐の中で月見をし続けた。

 日が昇れば、昨晩の嵐が嘘であったかの様に、天はどこまでも澄み渡っていた。木々がざわりざわりと歌うが、それは昨夜の物とは丸で異なる。
 「まさか、物の怪だったとは思わなかった。」
 鶴丸に手を引かれ乍、国広はそう溢した。当然乍、山姥退治など出来はしない。然し、幾ら写しと言えど、己の身一つ守れぬとは情けないと思ったのだ。
 「それは仕方ないさ。あいつは君に狙いを絞っていたからな。お陰で俺たちは直ぐに気が付く事が出来た。」
 そう話す鶴丸の言葉に、国広はこてりと首を傾げる。すると、国広の背を押す三日月が、口許を隠しふふと笑う。
 「俺たちの可愛い金糸雀が狙われておったのだ。気付かぬ筈はなかろう。」
 三日月の言葉に、国広は頬を染め言葉を失う。すると、白い手が国広の頭をくしゃり撫でた。
 「国広、君は誰にもやらない。俺たちだけの国広だ。」
 破顔する鶴丸。三日月も嫋やかに微笑んでいる。
 「勝手にしろ。」
 そうそっぽを向いた国広であったが、その顔は紅に染まっていた。

***

 草木は青々と生い茂り、時折吹き抜ける風がそれを揺らす。なだらかな山道の脇には、愛らしい花々が咲いている。微睡む様に穏やかな景色であるが、そこを行く者の心は決して穏やかではなかった。
 「もう、三日月さんたち、どこ行ったんだよ!」
 「本当に三日月殿と鶴丸殿は、どこへ行ったんだろうね。天候にも恵まれていたんだが。」
 頬を膨らませ憤る加州に、歌仙も溜め息を吐き頭を振った。石切丸も難しい顔をしている。もう随分歩いたというのに、丸で手掛かりが見付からないのだ。当然である。
 「ねぇ、あれ!」
 突如、声を上げた加州。その指し示す先には、一羽の鳩が居た。そう、それは間違いなく主が送った鳩であった。加州が急ぎ足で鳩に駆け寄ると、歌仙と石切丸も続く。
 「怪我はなさそうだね。」
 石切丸がそう告げれば、加州はほっとした様に安堵の息を吐いた。
 「でも、なんでコイツこんな所にいた訳?天気も良かったし、コイツでも迷う事あんのかな?」
 加州の疑問に、「どうだろう。」と首を傾げるのは歌仙のみ。石切丸は苦虫を潰した様な顔をした。
 「石切丸殿?」
 そう呼ばれた石切丸は、首を振ったかと思えば直ぐに踵を返した。
 「おい、いきなりどうしたんだよ!」、と驚き声を上げるのは加州。歌仙も目を丸くしている。すると、石切丸は一つ溜め息を吐いた。至極難しい顔をしている。
 「歩きながら話そう。ここに居ては、金糸雀を攫いに来たと勘違いされかねないからね。」
 歩みを進める石切丸。加州も歌仙も、石切丸の言う言葉の意味は分からぬが、嫌な物を察しそれに素直に従った。
 ざくりざくり。砂利の道を歩む足音が響く。
 「先代の頃の出来事だよ。」
 「先代?今の主の父上って事?その時代に、何かあった訳?」
 加州の問い掛けに、石切丸は頷く。
 「先代からの刀は、もう私と小狐丸くらいだからね。加州君たちは想像も出来ないかも知れないけれど、酷い時代があったんだよ。」
 石切丸は腕の中の鳩を撫で乍、それでいて歩みを止める事なく話続けた。
 「一振りの刀が戦で右腕に傷を負った事があった。でも、今の様な手入れも出来ない時代でね。表面上傷は治ったが、彼の右腕は二度と刀が握れなくなってしまった。」
 その話に加州は唇を震わせ、歌仙は眉間に皺を寄せた。
 「戦う力を失った刀は、刀解を申し出たが、先代はこれを認めなかった。当時は、刀解などすればその本丸は祟りに遭うと信じられていたんだ。そこで先代は、この刀を人知れずひっそりと山へ棄ててしまった。今となっては、考えられない話だけれども、そんな時代だったんだよ。」
 「そんな事って、ないだろ!それじゃ、そいつがあんまりじゃん!」
 丸で自分の事の様に憤る加州。ぽろりと雫が零れれば、幼子にする様に石切丸がその頭を撫でた。眉間に皺を寄せる歌仙は、腑に落ちないと訴える。
 「その刀の祟りで三日月殿と鶴丸殿は、殺されてしまったという事ですか?」
 そう歌仙は仮定で尋ねるが、石切丸は首を横に振った。
 「彼らはその刀を取り返しに行ったんだろうね。彼らはあの子に恋情を持っていたから。当時は先代が術で以て彼らを本丸に縛っていが、先代が亡くなった今はそれもない。その時が来るまで、今は彼らを静かに見守ってあげよう。この子もそれを願っている様だからね。」
 石切丸の腕の中で、鳩はくるくると鳴く。歌仙も「そうですね。」と頷けば、加州は何度も強く頷いた。そして、一度だけ振り返って声を張り上げた。
 「絶対に幸せになれよな!」
 木霊する加州の声。その中に、金糸雀の歌が織り交ぜられたなど、誰が気付くだろうか。